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Hemi医師のインタビュー

最初に発症前のことを教えてください。

大学では産婦人科を選択していました。当時は臨床研修システムがなかったので、大学卒業後にストレートに医局に入局して、周産期センターで産婦人科医として働き始めました。当時はお産の件数も年間1,000件程度と多く、 2日に1回は当直がありました。

この病院には、いつ来られたのですか。

卒後3年目の2000年にこの病院の産婦人科に来ました。この病院の婦人科は腫瘍の患者さんが多いので、婦人科のがん専門医を目指していました。

脳出血が起きたのはいつですか。

2010年8月に脳幹出血(左の橋出血)があって、自分が勤務しているこの病院に入院しました。前日は朝から4件の手術があって、最後の卵巣がんの手術が終わったのは夜の11時頃でした。2〜3日前からずっと頭が痛かったのですが、次の日の朝起きたら、右手が動かず、病院に行って、脳外科の先生に「手も動かないし頭も痛い」と話したら、MRとCTを撮ってくれました。検査の結果、脳幹出血があるが腫瘍ではないとの説明があり、即入院しましたが、あっという間に右半身に麻痺が拡がりました。

視覚はどうでしたか。

目は複視になりました。外転神経の障害で眼球運動が阻害され、全てが二重に見えました。この症状が一番辛かったです。あと顔面神経麻痺、構音障害、嚥下困難等の症状も出現しました。

手術はされたのですか。

脳幹出血は必ず手術するものではありませんが、当時の脳外科部長から手術したらどうかという話がありました。診療ガイドラインでは1回目の出血では様子をみるとなっていましたが、一度出血すると再出血する割合が20〜30%になるといわれており、どうせ出血するのなら手術して原因を除去したほうがいいと思って、所属する医局の大学病院に転院して相談することにしました。入院中にiPhoneで文献検索して、手術で7割が軽快していることを調べて、脳外科の教授にお願いし、2010年9月末に脳幹部の血腫と海面状血管腫の摘出手術をしてもらいました。手術で血腫を取り除いたおかげで、ほとんど動かなかった右上肢も少し動くようになり、構音障害も軽くなり、それまでの車いすから杖で歩行できるところまで回復しました。

血腫だけでなく海面状血管腫も取り除く手術をされたのですか。

脳幹にできた海綿状血管腫が出血したので、そのままにしておくと再出血する恐れがあるので、開頭手術で血腫と血管腫を取り除きました。

大学病院で手術してこの病院に戻るまで、どのくらいの期間でしたか。

手術後の経過に問題もなかったので、2週間くらいでこの病院に戻ってきました。

転院先を含めて入院期間はどの程度だったですか。

全部で2か月くらいです。8月の終わりに入院して、10月の終わりに自宅に戻って療養しました。たまたま妻が育休を取っていたので、育休の期間を少し延ばしてもらい、自宅で療養しながら週2回くらい病院でリハビリを受けました。その間に職場復帰に向けた準備をしました。職場に出てきたのは3月の初めでした。

復帰する仕事については、どう考えましたか。

発症から半年後の2011年3月に職場復帰しようと思いました。12年間婦人科医として働いてきたので、まずは婦人科を考えましたが、手術ができるわけではなく、できるのはがん検診ぐらいかと思いました。この病院には緩和ケア科の兼任医師はいましたが、専任医師はいなかったので、緩和ケア科の担当になることで職場復帰しました。

現在はどの診療科で働かれているのですか。

メインは緩和ケア科であり、緩和ケアチームで回診していますが、主治医は別にいるので、主に患者さんを診療する必要はなく、空いている時間は婦人科の仕事を手伝っています。婦人科では週1日外来で患者さんを診たり、必要に応じて手術にも応援に入っています。そのほかは放射線科で治療の外来や治療計画の作成等をしています。大学の放射線治療科にも定期的に通っています。

放射線治療を考えたきっかけは何でしょうか。

大学病院で手術を受けた後に、脳外科の教授が「脳の放射線治療をしたら」と勧めてくれました。脳定位照射というものです。自分は婦人科なので、子宮頚がんの放射線治療をしたいと言ったら、脳定位も放射線治療だと言われました。そのようなこともきっかけとなって、放射線治療医の道に進もうと考えました。婦人科医として、自分の患者さんの画像も見ており、CTをオーダーして再発の有無も診ていたので、診断も含めて、全くの素人というわけではなかったと思います。

基礎はあったわけですね。

それプラス、放射線科の独特の所見の言い回し等もあるので、やっていく中で教えてもらったり、勉強したりすることで、希望の放射線治療にもたずさわることができるようになりました。色々なものや人が繋がっていて有難かったですね。

放射線治療医になることが希望なのですね。

放射線治療医としてやっていくことが、自身の希望でもあり、病院も応援してくれました。いきなり治療計画を作るのは無理なので、1〜2年は画像の読影をして、ある程度してから放射線治療をすることになりました。こうした配慮をしていただいた上司には、感謝しています。

いつ頃から放射線治療の仕事を始めたのですか。

放射線治療医になるために、2014年4月から県内の大学病院に行くようになってからです。大学病院では担当医として外来の患者さんを診て、治療計画を作って治療し、フォローしていました。それ以前にも、この病院の放射線治療医から治療の基本を教えてもらっていました。3年前に放射線治療医の資格を取りましたが、大学病院には今でも週1回行っています。

障害のためにそれまでの仕事ができなくなった場合、方向転換に向けた準備にどの程度の時間が必要か皆さん気になると思います。一から勉強しなければならない分野もあるし、ある程度ベースがある分野もありますが、方向転換する先はベースがある分野の方がやりやすいでしょうね。

そうですね。私は婦人科で12年仕事してきたので、婦人科のがん患者さんや終末期の患者さんはよくみていました。緩和ケア科では他の診療科のがん患者さんの終末期も診ますが、終末期という点では婦人科も他の診療科も似た面があります。また、緩和ケア科に来る患者さんに対しては、それまでどんな治療をしてきたかもみることができるので、これらも勉強になりました。放射線治療医にとってはこれらの知識が全てリンクしています。

外科ではなく内科の医師だったら、放射線治療とはもっと距離があるのでしょうか。

そんなことはありません。診療科でがんを診ている医師であれば、内科であってもそれほど距離はないと思います。一方で、がんを診ていない医師だと難しいかと思います。

がん患者さんに対する治療という共通点があって、治療方法の違いだけですね。

対象患者も治療目的も一緒で、治療の手段を変えただけなんですね。

がん患者さんの治療カンファレンスも、外科と内科と放射線科が一緒にしていますからね。

そうですね。知識が深まっただけで、それほど違和感はなかったです。

現在の障害の状態について教えてください。

右半身の不全麻痺は今でも残っています。杖は使いますが歩行はできます。箸を使うのも左手です。左手ばかり使っていれば慣れてくるので、日常生活が凄く困っているわけではありません。

右手は多少は動かせるのでしょうか。

右手の握力は計測上はゼロですが、紙をつかむことくらいはできます。右手で微細な作業をすることは難しいですが、補助肢としては結構使えています。片手だけでは難しい作業には、押さえるだけでも右手は役に立っています。

パソコン入力は、どうやっていますか。

パソコンを打つのは左手で手打ちしています。右手は肩から動かすことができないので、両手を使って複数のキーを押す必要があるときは、左手で右手を持ち上げてシフトキーのところに持っていき、そこで押さえています。やっていれば慣れてくるもので、病気になって10年も経つといろいろなことがそれなりにできています。

片手だけで操作する入力方法もあるので、それを使えば随分と楽になると思います。

それは知りませんでした。

右足は使えるのですか。

右足は立たないわけではなく、杖があれば歩けます。

通勤はどうされていますか。

自分で車を運転して通勤しています。ハンドルにノブを取りつけて左手で運転し、右側にあるウインカーにはレバーを取り付けて左手で操作しています。アクセルとブレーキは右足で操作しています。

右足でも操作できるのですか。

アクセルもブレーキも右足で踏めますし、自分の車には自動運転機能があるので、高速道路なら時速80キロなどで設定すれば、速度が維持されて、前の車が近づけば減速してくれます。

そういう機能が付いている車を買ったのですか。

敢えて選んだわけではなく、たまたま買った車に自動運転機能が付いていました。

ユニバーサルですね。

たまたま付いていただけですが、これがとても便利です。

複視はどうなりましたか。

手は動かそうとしなければそれでも良いですが、目を開ければ全て二重に見えてしまうので、複視が一番辛かったです。脳出血から4か月くらい経って、職場復帰する直前頃になって、漸く正面に見る際の複視は治りましたが、眼球を振ったら今でも複視になります。車をバックさせるときに後ろを振り返ると複視になりますが、最近の車にはバックモニターがついていて後ろを振り返らなくて良いので、問題になりません。その程度なので、日常生活には特に支障はありません。

そのほかに日常生活の不便さはありますか。

右側の嚥下力が少し弱いので、注意してご飯を食べています。今はそれほど問題ではありませんが、年をとったら嚥下が悪くなるかもしれないと思います。

食べ物で工夫していることはありますか。

全然ないですね。普通に肉を食べたりビールを飲んだりしています。今は問題ないので、あくまで将来への不安です。もっとも60歳や80歳になったら、誰でも今の私のような嚥下の状態かもしれないので、あまり心配する必要はないのかとも思います。

医師として働く上で苦労したり、工夫されていることはありますか。

できない業務はしないことにして、診療科も変えてできる業務の範囲を広げているので、今は医師として働く上で苦労していることはあまりないです。手術を手伝うこともあるので、そこは苦労しています。左手しか使えないので、右手が使えたらもっと楽にできるのにとは思います。

手術ではどんなことをされるのですか。

ハサミで糸を切ったり、腹腔鏡のカメラを持つといった補助的な役割です。左手だとハサミが使いにくいとか、鉗子やコッヘル鉗子(外科用止血鉗子)が外せないとか、色々と苦労はしますが、周りも苦労しているのを見て知っていて、患者さんが不利益な状況でなければ業務としては回るので、私は苦労しているけれど、周りはそれを微笑ましく見てくれていると感じています。

左利き用のハサミもあるそうですが、医療用には左利き用のハサミはないのですか。左利きの人は1割はいるのですから、左利き用の医療用具があっても良いでしょうに。

ないと思いますね。左利き用の鑷子(ピンセット)とかクーパー(外科剪刀)とかは、多分絶対ないと思います。

立ってする仕事はされるのでしょうか。

放射線科はほぼ座ってする仕事で、婦人科の外来も座ってできますし、立ってするのは緩和ケア科で病棟を回診するときだけで、それも私のペースで回診できるので、有り難いです。その意味では、杖歩行のために凄く業務に支障が生じていることはありません。

今までしていたことができなくなった時には、どうしようかと色々可能性を考えたと思いますが、最終的には放射線治療医を目指すことになる過程では、どのようなことを考えましたか。

手術が好きだったので、手術ができなくなったことが一番衝撃的でした。大学病院に入院中に車いすで一人いる時に、自分の病気はがんではないので多分死なないだろうが、半身麻痺の状態で何ができるか、もう少し良くなって歩けるようになるかもしれないが、その時に何ができるかを考えました。婦人科でもがんの手術をしていたので、その意味では、まず「がんの患者さんを治したい」という思いがあって、治す手段として、婦人科の子宮頸がんは放射線治療で結構良くなるのを見ていたので、やはり放射線治療医かなと思いました。

他の選択肢は考えなかったのですか。

それ以外の選択肢は、あまり考えられなかったです。放射線治療医とは、それまでも患者さんの症例について色々と話合ったりしていました。実際に放射線科で働いてみると、左手だけでいろいろな操作をしなければなりませんが、時間はかかっても自分だけの問題なので、手術中に時間がかかるとか、外来中に時間がかかるといった患者さんや他のコメディカルに迷惑をかけることもありません。

放射線診断医と放射線治療医がありますが。

放射線診断医ではなく、放射線治療医になるという思いでした。それは最初からブレていないというか、他を考える余地はあまりなかったです。緩和ケア科には専任の医師がいなかったこともあり、職場復帰してからは緩和ケア科を担当していますが、終末期の患者さんを診ながら、診断の勉強をしてきました。放射線治療医になりたいという希望は、職場復帰する前から当時の病院長や大学の医局の教授にも伝えていましたが、皆さんそれを受け入れてくれました。ベースはがんを治すこととで、婦人科の時と今とで、自分のできていたことが大きく低下したという感覚はありません。

がんの治療方法では、外科手術、放射線治療、抗がん剤治療が3大治療法ですね。

手術はしていませんが、その代わりとなるものを皆の助けを得て行えています。都会の大病院では専門性を極めることが求められるのとは異なり、地方の病院では幅広く対応できるオールラウンダーの医師が求められる面があります。

いろいろなことができる多能工的な医師が求められるということですね。

今はそういう状況になっていて、診療の幅を拡げられる意味では有り難いですね。

医師として働く上で工夫していることや、周りから配慮してもらっていることはありますか。

長距離歩くことや自転車に乗るのも難しいので、車で通勤しています。職員用の駐車場は少し歩くので、患者さん用の駐車場を使わせてもらっています。

雨が降っているときに傘はどうされていますか。

左手で杖をついている上に右半身麻痺なので、傘はさせません。傘をささなくても良いような生活をします。車で横付けしているので、少し濡れるだけで済みます。

片手しか使えないと傘もさせないので大変ですね。

雨が降ると、出かけるのが億劫になります。東京や横浜などでは地下道があるので、都会の学会はほぼ傘はささなくて済みます。地方の学会で雨に降られると、タクシーを呼ぶしかありません。

緩和ケア科には、病床はあるのですか。

緩和ケア科には専用の病床はなく、緩和ケアチームがあるだけです。各診療科に終末期の患者さんがいると、主治医からの相談を受けて、緩和ケアチームが主治医と共同で患者さんを診る形です。緩和ケア病床がある病院だと、緩和ケア科がメインで患者を持つことになりますが、この病院では主治医がそれぞれ別にいるので、時間的にも余裕があることが、私には合っていたと思います。

緩和ケア科の仕事も病院で異なるのでしょうが、この病院では入院患者さんが対象ですか。

入院患者さんが対象です。主診療科は外来と入院はみていますが、在宅の終末期の患者さんまでは手が回らない場合が多く、以前は地域の訪問看護ステーションと連携して自分が訪問診療をしていました。最近では地域の開業医が診てくれるので、訪問診療に行かなくて済むようになりました。

そうすると、緩和ケア科はコンサルトやカンファレンスが中心で、患者さんを単独で診ることはないのですね。

主治医と一緒に診ています。疼痛に対するオピオイド(医療用麻薬)の調整や終末期のせん妄、鎮静のタイミング等についてコンサルトを受けています。

別に主治医がいるので、急変してすぐ緩和ケア科の医師が対応することはないのですね。

そうですが、婦人科の自分の患者は主治医としても診ています。緩和ケア科では、週2回のカンファレンスのほか、回診も普通の回診と同じです。他の病院にも緩和ケア科はありますが、この病院では院内で最期を迎える方も多い気がします。緩和ケアは放射線治療を受けた患者さんも多数おり、全然違うことをやっている感じはないですね。

放射線治療は、疼痛緩和のためにも行われますね。

放射線治療の目的のうち、3分の1はがんを治すための治療、3分の1は再発や転移の予防のための術後照射、3分の1は疼痛緩和です。その意味では、3分の1は緩和ケアの患者さんです。

緩和ケアと放射線治療は重なっているのですね。

この患者さんには痛み止めのオピオイド(医療用麻薬)ではなく放射線治療による疼痛緩和の方が良いと判断すれば、自分が放射線治療をしているので、主治医にも勧めることができます。

脳出血から片麻痺の状態となって、色々と苦労されてこられたと思いますが、障害のある状態になったことで、逆に理解が深まったことはありますか。

患者さんの気持ちは、良く分かるようになった気がします。それはすごく勉強になりました。手術をした大学病院には知っている医師もいましたが、医師も放射線技師も、病人を見る目で私のことを見るわけです。脳幹出血で意識が半分飛んでいる状況でも、右半身麻痺していても、それなりに私も考えているわけです。当然ながら、病気の人もそれなりに考えていて、こんな状態になってしまったと思ってたり、医療者のちょっとした一言がすごく有難いこともあったり、ぐさっと突き刺さることもあったり、そんなことが多分たくさんあるのだろうと思いました。

ご自身でもそれを感じられたと。

例えばMRIの台の上に乗せられるときにも、物みたいに扱われていると感じることがありました。技師もそういうつもりでは絶対ないのですが、何気なくそう感じたりするのです。今は、再び患者さんを診る側に戻ったわけですが、そういう思いを患者さんが持っているかもしれない、自分たち医療者のことをそう見ているかもしれないと、強く感じるようになりました。病気をすることによって、患者さんの気持ちがより深く分かるようになった気がします。たまに忘れることもありますが、その時のことをいつも思い出しますね。

患者さんのメンタル面のケアは大切ですね。

特にがんの患者さんは、治らないかもしれないと思っていることも多いため、私たちの所作や何気ない行動が心を傷つけるかもしれない。医師の仕事に復帰して障害は残りましたが、そういうことが理解できるようになった点は良かったと思います。

医師で同じように中途で障害になられた方がいた時に、こういうことが大事だとか何かアドバイスはありますか。

障害が残っても工夫できることはたくさんあるし、同じ分野ができないなら他にできることを探すべきだと思います。病院の中には医師でしか決められないことが多いので、できることは必ず見つかると思います。

医師にしかできない仕事というのは。

医師の仕事というのは「決める仕事」であって、どこの科でも医師が決めないと動けないので、そこが医師にしかできない仕事です。病気や怪我でそれまでの自分の仕事ができなくなったとしても、医師としてやれる仕事は、分野は変わっても多分変わらないと思います。

医師が入るか入らないかで決められる範囲が大きく異なるので、どんな障害があっても、医師としての視点で意見を言えるのは、この職種ならではの利点でしょうね。方向転換先を決めるポイントは何でしょうか。

興味や適性もあるので、どこが良いとは言えませんが、私の場合は、もともとがんの患者さんを治したい思いから入っているので、放射線治療医を選びました。一方で、リハビリ科のように機能を取り戻す仕事にやりがいを感じる方もいると思います。何を選ぶかは自分で決めるしかなく、誰かが提示してくれるものではありません。何で医師になったかという原点に戻って、自分のしたいことを見出すしかないと思います。自分にできることは必ず見つかると思いますし、ぜひ遠く高く飛べるところを見つけていただいたら良いと思います。

「原点に戻れば見つかる」ということですね。

何で医者になったかという原点ですね。抽象的すぎるかもしれませんが。自分も10年前はまだ38歳だったので、これからどうなるのだろうという不安感で一杯でしたが、院長や事務局長や皆さんに配慮していただき、とても有り難かったです。

最後に、障害があって医師を志望する若い皆さんに伝えたいメッセージがあればお願いします。

医師になるという意欲や意志があるなら、頑張って欲しいですね。運動系の麻痺がある場合、5〜6時間の長時間の手術は困難かもしれないにしてもです。

外科医は難しいですね。

医師は外科医ばかりではありません。医師の中で外科医は一部にすぎません。

手塚治虫さんの漫画「ブラックジャック」から医師のイメージを外科医と考えがちなところはありますね。

全ての外科医が手術をしているわけではありません。手術は引退しているとか、別の診療科で働く外科医もいます。緩和ケアの仕事をしている外科医もいます。外科手術ができなければ医師の適性がないということではありません。患者さんを診て根拠のある診断に基づいて治療し、治療の結果を評価し、さらに患者さんにどのような治療をするかといった、反復する作業が医師には求められます。その一つの手段に外科手術があるわけで、外科手術ができないから医師になれないわけでは全くありません。

様々な診療科がありますからね。

色々なタイプの医師がいて、小児科医がいたり、内科医がいたりするわけです。右手を使えない状態で無理して外科手術をすれば、患者さんに迷惑をかけることになります。そんなことは目指さなくて良いのです。医師として目指すところは、他にもたくさんあります。もし医師になりたいと考えている学生がいるなら、その夢に向かって一所懸命に勉強して、色々な話を聞いて、トライしたら良いでしょう。絶対どこかに適性があって、医師として活躍できる場があると思います。

勇気が出る話ですね。本日は有難うございました。

(2020年1月収録)