Doctor's Network

"夢をつなぐ" Doctor's Network

N

名前 N
所属 大学病院
診療科 リハビリテーション科
障害の内容 先天性進行性筋疾患
障害の発生時期 医学部入学以前

これまでの経緯

3歳の時に血液検査でCK(筋損傷の指標)が高く、筋疾患が疑われた。小学生の時にポンペ病(糖原病Ⅱ型)と確定診断された。ポンペ病は全身の筋力が低下するが、私の症状は主に下肢だった。小学校へ説明し、教室を1階に配置してもらった。筋疲労により進行が早まるため、体育、持久走、運動会は見学した。
中学生で自転車に乗れなくなり、床から立ち上がれなくなった。旅行や学校行事では車椅子に乗り、家族やクラスメイトに押してもらった。医師を志したのは中学生の頃で、「椅子に座ってできる仕事」「人の話を聞くのが好き」「自分の経験を生かせる」の3点で精神科医を目指すことにした。親族に医者はおらず、その道がどれくらい大変なのかよくわからなかった。病気の進行も未知数だったが、「無理になったらいつでもやめよう」と思い、とりあえず行けるところまで行ってみることにした。
高校はエレベーターがついた進学校に入学し、校内の移動はずいぶん楽になった。入学前、「自分の病気のことは自分で説明しよう」と担任の先生に促され、以来自己紹介の時に、クラスメイトへ自分の病気、助けてもらいたいことを言い添えるようになった(それまでは担任の先生に説明を任せていた)。生活面では転ぶことが増え、横断歩道を青信号の間に渡りきるのが難しくなった。
高校3年の夏、ポンペ病初の治療薬が実用化された。治療の効果により歩行が安定し、床から立つこともできるようになった。受験時は、病気のことを大学へ伝えないことにし、他の学生と同じ条件で二次試験を受けた。
入学後すぐ、学生課と面談し、持病のことを説明した。長距離歩行が困難で転びやすいこと、頻回の立ち座りが困難なこと、筋疲労がたまると病状が進行するため適宜休憩を挟みたい、という内容だった。大学内は歩いて移動した。通学は、2年生で運転免許を取得し、障害者駐車場を使わせてもらった。
5・6年生は病棟実習の日々になる。内科、外科、救急・・・院内の全診療科を2~4週間ずつローテーションしていく。院内は移動距離が劇的に増えるため、電動車椅子を購入した。
実習開始前、私の病状と、配慮が必要な点について、学生課を通して全診療科へ周知してもらった。自分でも紙面を作成し、追加で主治医にも意見書を書いていただいた。実習先ごとに、ローテート数日前に教授へ直接メールを送った。「例の車椅子の学生がお世話になります」「配慮いただきたいことはこちらです」「移動などでご迷惑をおかけしますが、一生懸命頑張ります」。大まかにはこのような内容だったと思う。学生の身分で教授に直接メールを送るなど、大胆なことである。何度下書きを読み返しても不安は拭えなかったが、前例もなく正解の文章などありはしないので、最後は「えいや!」と送信ボタンを押していた。
直前のメールの甲斐もあってか、どの診療科でも教授含め病棟全体で温かく迎えてくださった。何を為すにも、その組織のトップの理解を得られるかどうかで環境の差は大きい。
手術室では、自前の手動車椅子を手術室専用とし、乗り換えた。救急の当直は病院に泊まらず夕方以降短時間だけ参加し、夜は自宅に帰った。
卒業時、脳神経外科の教授に声をかけられ、「最初は大丈夫か?と思ったが、君ならどこへ行ってもやっていけるよ。」と太鼓判を押された。
初期研修は地元の県に戻り大学病院にマッチングした。2年間の研修期間のうち、半分近くは心療内科と精神科に所属するように予定を組んだ。救急は、大学病院の特性上重傷者が多く、私は運ばれてきたストレッチャーに近づくこともできず、ICUでの診察も十分にできなかった。研修センターへ相談し、救急研修2ヶ月目から中規模の関連病院へ異動させてもらった。2次救急の病院で、救急車で来ても大抵患者は自分で動けるし、会話ができた。点滴の準備をし、採血をし、短時間立ち上がって診察などができた。
研修の最中、ポンペ病新薬が臨床試験(治験)の段階に入るかもしれないとの情報が入った。その頃の私の病状は、独歩で転倒し捻挫したことをきっかけに屋外歩行時は杖が不可欠になり、椅子からの立ち上がりがきついなど、筋力低下を感じていた。初期研修後はすぐに専門医を目指すのではなく、療養を中心に生活することにした。
初期研修後の仕事は、転職斡旋業者を利用した。医師国家試験予備校での講師と、献血ルームでの検診の仕事を掛け持ちし、週3~4日程度に抑えた。予定していた治験は結局頓挫してしまったが、収入は安定し、毎週ジムに通えて、ワークライフバランスは私の理想形に近いものになった。就職2年目で一人暮らしを始めた。
就職6年目、また別の新薬の治験が始まった(この希少疾患に注目してくださる製薬会社がいくつもあることは奇跡的である)。治験開始後、体調の回復を感じ、私は再び病院勤務に戻りたいと思った。精神科は、初期研修中に自分には適性がないと感じており、中学生の頃の夢に近い仕事はリハビリテーション科医ではないかと考えるようになった。再び斡旋業者を利用し、地域の中核病院のリハビリテーション科で、週4日の時短勤務でキャリアを再スタートさせた。現在はリハビリテーション科専門医取得を目指し、大学病院に所属している。専門医取得は常勤が原則とされているが、私は持病の療養を理由に、時短勤務でも取得可能となるよう配慮された「カリキュラム制」という制度を利用している。
(※投稿者注:ポンペ病は患者数の極めて少ない希少疾患です。医学の発展により、早期発見・早期治療が叶えば筋力を維持できる病気になりました。誤診・診断の遅れは命取りです。広くこの病気を知っていただきたく、あえて病名を公表させていただきました。)。

医師として働く上での工夫や配慮

病院内は必然的にバリアフリーのため、移動やトイレで不便を感じることがない。運動不足は廃用症候群につながるため、自分用のデスクは電動スタンディングデスクにし、立ってカルテ入力している。筋力テストやベッド上診察などは、近くにいる療法士や看護師に声をかけ一緒に診察するようにしている。
私の担当する患者が私の体力不足により不利益を被ることがないよう、こまめに上司へ報告・相談している。業務量がキャパオーバーになりそうなときは「新規受け入れ困難」と上司へ伝え、診療が疎かにならないよう担当患者数を調整している。

医師を目指す方や医師を続けることに不安を感じている方へのメッセージ

まずは見切り発車でもいいので医師を目指してみてもいいのかなと思います。私が大事にしていることは、決して自分の体調を犠牲にしないことです。私にとって一番大変だったことは、障害を抱えて生活することではなく、周囲へ自分を知ってもらうこと、無理せず社会参加できるよう関係各所へ赴き準備と根回しをすることでした。前例のないことは非常に面倒ですが、事前に何をしてもらいたいか・何ができないかを明確化しておくと、周囲も受け入れ体制を準備し、親身に動いてくれます。わがままにならないよう、常に相手の状況に配慮し、感謝の気持ちを忘れないようにしています。
医師は色々な働き方の選択肢があるため、それぞれのライフステージ、体調に合う働き方も見つかるはずです。私も紆余曲折ありましたが、この道を選んで良かったなと思っています。