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masao医師のインタビュー

子供の頃は、どんなお子さんでしたか。

人間とのかかわりよりも、機械とりわけ車や乗り物が大好きな子供でした。病気のある人や障害のある人のことを考えたこともありませんでした。

病気になったのは、いつ頃ですか。

医学部5年生の時に、突然、左足の付け根の大腿骨頭が痛くなったのが、病気との付き合いの始まりでした。

何かきっかけはあったのですか。

トライアスロンの練習をしようと思って、5月のゴールデンウィークに長い距離を走り込んでいて、1日走った帰り道に左足がギクッと痛くなりました。トレーニングのし過ぎかと思い様子を見ましたが、次の日も少し動かすと痛くなることが続くので、おかしいと思って大学の病院を受診しました。レントゲンを撮っても異常はありませんでしたが、何かおかしいのでMRIを撮ってもらったら、診断がついてびっくりしました。

MRI検査で診断がついたのですね。

当時は、MRIは大学病院ぐらいにしかありませんでした。今と違って解像度も悪いのですが、それでも異常が見つかりました。幸か不幸か早期発見ができたので、一時休学して治療に専念することになりました。

どのぐらい休学されたのですか。

コア・デコンプレッション(減圧手術)術後ですから、数カ月くらいですね。退院してからは、松葉杖をついている状態で通学して授業に出ました。休学中で授業に出られなかった分は、友達からノートを見せてもらって何とか単位も取れ、留年せずにすみました。

学生生活の中で、困ったことはありませんでしたか。

松葉杖をついた状況だと、大学の中なら良いのですが、実習で外部に行く時は大変でした。自転車もこげないので、松葉杖で時間をかけて行くしかありません。普通なら歩いて15分のところを、松葉杖で1時間ぐらいかけて歩いていくような状態でした。また、立っていなければならない実習の時は、松葉杖を使って右足で片足立ちしていました。とても疲れましたが、座っていて良いとも言ってくれないので、立っているしかありませんでした。

悪いほうの左足は、床に着けることもできなかったのですか。

最初のうちは、荷重をかけずに浮かせるようにしていました。その後は、体重をかけられるようになりました。松葉杖も、そのうちに少し短い杖に変えていきました。

同じように松葉杖を使う学生はいませんでしたか。

いなかったですね。

学生同士での助け合いはありましたか?

ほとんど友達の助けで何とかしました。天気が悪いと傘もさせないので、車を持っている友達が乗せてくれたりしました。

大学側のサポートは何かありましたか?

ほとんどなかったです。エレベーターがない建物では、松葉杖を使って3階ぐらいまでは平気で階段を上り降りしました。自分から大学に配慮を求めることは考えず、ないものは自分で何とかするしかないと考えていました。

トライアスロンもやられていたくらいだから、体力もあったのでしょうね。

階段も腕で押し上げてお尻で一段ずつ上がればいいくらいの感覚でいました。

医学部を卒業した後はどうされたのですか。

卒業後は大学の医局に残る選択をしたので、整形外科にストレートで研修に入りました。その後に、ローテートで幅広くいろいろな研修が受けられる病院に出ました。一時期は脚の状態も良かったのですが、その後再発して悪くなって、杖を使ったり、再手術で前方回転骨切り術を受けたりということが、ローテート研修の間にありました。

ローテート研修というのは、どのくらいの期間だったのですか。

現在の初期研修と同じく2年間でした。当時のローテート研修は、現在の初期研修とは異なり臓器別の研修でした。内科系だと消化器、循環器、呼吸器といった分野を回り、外科系に行く人は麻酔科が必須でした。

最初は整形外科を選ばれたわけですが、その理由は何ですか。

もともと自動車とかメカが好きで、工学部に行って自動車を作るのが夢でした。中学生のときには、ハイブリッドカーのようなイメージをノートに書きためたりする生徒でした。ただ、高校の進路指導の先生から、「女子が工学部に行ったら就職の口がない、資格を取れるところに行きなさい」と言われ、取り敢えず資格を取るために医学部を目指すことにしました。医師になったら憧れのポルシェ911に乗れるかも、という下心もありました。物理が大好きだったこともあり、医学部の中でも一番メカにかかわれる科が整形外科で、人工関節など器械の研究もできるという思いで整形外科を選んだというのが本音でした。

大学に入る前から、医学部なら整形外科という思いだったのですね。

世のため人のためとか、病気の人を治したいという気持ちではありませんでした。病気は苦手だし、何か怖いという印象がありました。病気になって、整形外科にお世話になった恩返しという理由でもありません。

ローテート研修に出て、他の診療科も見て考えは変わりましたか。

内科で最初に行ったのは循環器で、たまたま最初に割り当てられた患者さんが心筋梗塞で重症な方で、あれよあれよという間に亡くなってしまい、循環器は恐ろしいという思いが強くなりました。次に消化器に行ったら、モニターを見ながら内視鏡を操作するのが苦手で、「患者さんが迷惑するので見ているだけで良い」と言われ、自分は消化器も向いていないのかと。おまけに内視鏡で粘膜のぬめぬめ動いている風景を見ていると気持ちが悪く、正直言って苦痛でした。

内科は向いていないということですね。

ところが麻酔科に回った時は、とても面白かったのです。麻酔科では、手術の間に患者さんを呼吸・循環動態を安定した状態にして、痛みもなくしっかり寝ていただいて、無事に手術が終わっても、患者さんは私たちのことを覚えていない。直接感謝されることもない。そういう影の存在、黒子みたいなものに凄くやりがいを感じて、麻酔科医になろうかと思いました。内科や外科と違って、患者さんや家族の生活背景に踏み込むといった対人関係のわずらわしさもほとんどありません。ローテートの研修では麻酔科は6カ月で終わりましたが、その時の経験が整形外科に戻ってから大変役に立ちました。

どういうことですか。

当時は麻酔科医が足りず、外科系の手術では診療科の医師が麻酔をかける必要があったので、麻酔、特に全身麻酔がかけられる医師は大変重宝されました。気がついてみると、整形外科にいながら3分の2くらいは麻酔の仕事をしていました。特に、小児とか合併症のある患者の大きな手術や、体位が特殊な脊椎の手術の場合は、ほぼ私が麻酔を担当する感じでした。その後、異動した病院でも、麻酔科の先生が来ると整形外科の仕事がメインになり、麻酔科の先生が辞めると再び麻酔の仕事をやるような形で、付かず離れず麻酔の仕事をしてきました。二次救急をやっている中規模の病院では診療科に関わらず1人で当直し、全ての救急対応が必要になりますが、麻酔の技術があると緊急の時にもすぐ対応できるので、すごく役に立ちました。

早い時期に麻酔科との出会いがあったことが、今につながっているのですね。

麻酔科の指導医が人間的にも魅力的な方で、仕事以外の趣味も幅広く奥深い方で、語学も堪能でした。手術室の中で英語の勉強をされたり、チェロを練習されたりしていました。何年後かに会った時は、津軽三味線の弾き語りも聞かせてくれました。国際会議でお会いした時には朝鮮の代表団にいきなりハングルで話しかけて、皆を驚かせました。オフタイムではカヌーに乗ったり、いろいろな人生を楽しむことも教えてくれた方でした。

いろいろと影響受けたのですね。

麻酔科の研修中は、あまり歩かず足に負担をかけなくても済むように配慮していただき、ほぼ座ったままで業務ができました。自分で薬品や点滴ボトルを取りに行かなくても手術室の看護師が取ってくれるなど、先回りして動いてくれました。そういうことをで、周りからも大事にしてもらえました。

そういう配慮のある病院で働ければ良いですね。

そうですね。

ローテート研修が終わった後は、どうされましたか。

本格的に整形外科の中期研修を受けようと思いました。そんな時に、以前お世話になった先輩医師から、整形外科の研修をするならこの病院がお勧めだと教えていただき、関東地方の病院に行くことになりました。

その病院で専門医をとられたのですか。

整形外科の他に麻酔科の仕事もしていたこともあって、整形外科の症例数が足りなかったのと、私自身のライフイベントが重なり、その病院では専門医の受験準備ができませんでした。10年くらい経って再び地元の病院に移ってから、こちらで専門医の資格を取りました。通常は6年目くらいで専門医を受験するので、受験した人の中ではおそらく私が最年長だったと思います。そこでも相変わらず、整形外科と麻酔科の二足のわらじでやっていました。

整形外科の中では、何か得意とする分野はありましたか。

大学5年の時に大腿骨頭の手術をして、その後は大事に使うことで、それなりに状態も良かったのですが、先々のことを考えると、あまり負担がかからないほうが良いので、整形外科の中でも座って手術ができる分野をやろうと考えました。整形外科のサブスペシャリティには、脊椎外科とか関節外科とか外傷とかいろいろありますが、手の外科という分野もあります。顕微鏡やルーペを見ながらの細かい作業ですが、基本的には座ってする仕事です。長時間の手術もありますが、ほぼ座り仕事で腕力も必要ありません。私は小柄で手も小さいので、細々としたことをするには適性もあるかと思い、手の外科を選択しました。

整形外科は、力仕事なんですか。

研修中に骨折の修復をしたり人工関節を入れたりする時に、もっと力を入れて引っ張れと言われました。当時は、握力も40kgくらいありましたが、それでも背の高さとか、手の大きさといった物理的な問題で、女性は不利です。手術台の高さも執刀医に合わせて調節されるため、助手は足台に登らないと高さが合わせられません。背が高い先生に合わせると、背が低い私は足台を二段三段に積んでいて、時々足台が崩れたりもしました。

手の外科の勉強は、どちらでされたのですか?

手外科学会の中でも魅力的な先生のいる病院に行って、1年間ほど専門研修を受けました。日本手外科学会の専門研修制度がなかった時代でしたので、飛び込みでお願いして研修を受けさせていただきました。症例が多くて朝から晩まで予定手術があって、家に帰ったら呼び出されて緊急手術をして夜が明ける、といったハードな日々でした。そうはいっても、その病院でも脚に負担のかかるような業務(例えば脱臼の整復など)は人手がある時はやらないで済むように配慮してもらえました。研修後は前の病院に戻って、指の切断の再接着などをやりました。一般病院なので、手の外科以外にも骨折の治療や人工関節、脊椎といった普通の整形外科の診療を一通りやっていました。その後、家庭の事情で地元の病院に戻ってからも、整形外科と麻酔科を中心に通常勤務し、子供も3歳になったので当直にも入りました。

そのように働いてきた中で、新たな病気が発症したのですね。

サルコイドーシスといって、一般的には肺とか心臓の病気、あるいは眼の病気という認識かと思いますが、私の場合は初発症状が神経麻痺症状で、最初は右手が動かなくなりました。

利き手の右手ですよね。

利き手なので、これは困ったと思いました。最初は診断がつかなかったのですが、右手は使えないけれども左手は使うようにして、できる範囲で手術室にも入って、筋鈎で引いたり、吸引管で吸ったりという助手をしました。人手がない中で、どうにかこうにかやっていました。

手の外科の仕事はどうなりましたか。

手の外科のように細かいことは、両手を使わないととてもできないので、できなくなりました。そうこうするうちに、足の方も麻痺が出てきて、最初は片足だったのが両足に力が入らなくなってきました。そうなると立ち仕事の力仕事はできないし、手を洗った清潔な状態でどこにも触らず手術室に歩いていくこともできないため、手術もできなくなりました。外来で怪我した人の傷を洗って縫う程度の簡単な処置は清潔手袋をつけるだけでもできますが、正式な手術には入れなくなりました。それでも麻酔科はやれるということで、病院の方で配慮してくれて、手術室専用の車いすを買ってくれました。

どんな車いすですか。

小さな後輪が付いた6輪の手動の車いすで、小回りが利くためその場で一回転できるものです。手術台と麻酔器やモニターの間に入って作業をするには回転半径が小さいことが最低条件です。ただ、出来合いの通常型製品でしたので、後ろについている介助者用のハンドル・キャリパーブレーキが邪魔で、各種医療ガスのホースに引っかかったり、麻酔カートに当たったりする不都合がありました。予算があれば、介助者用ブレーキのないオーダーメイドの車いすを用意してもらうことをお勧めしたいです。

整形外科の外来は、どうされたのですか。

診察室に座っていれば患者さんが来るので、外来はできました。幸い左手は力が入るので、それで診療はできます。もっとも、電子カルテの入力をするのに片手だとスピードが遅いし、複数のキーを同時に押せないなどの不便はあります。音声入力を使ってみましたが、滑舌が悪いようで言葉がうまく認識されませんでした。

お聞きしている限り、滑舌が悪いようなことは全くないですが。

音声入力も駄目だったので、病院に事務補助の職員を1名つけてもらいました。その点はずいぶん配慮してもらったのですが、やはり医学用語に不慣れでうまくいきませんでした。整形外科の診療で使う医学用語の細かいところまでは、難しかったようです。

今も右手は力が入らないのですか。

指が普通には伸びずに開いたり閉じたりもできないのですが、一つの指でキーを押すことはできます。腕を上げるのも、肩から上には上がりませんが、下の方のことならできます。

可動域が限られているのですね。

力が入らないので、ドライヤーも頭の上に持ち上げられないです。、ペットボトルを持っても500ミリリットルがいっぱい入っていると口元まで持ってくることができません。

左手はどうなのでしょうか。

左手は普通に動きます。ただ、感覚障害はあります。特に固有覚(どこに自分の手があってどんな格好になっているか)が悪いので、常に自分の手元を見ていないと使えません。

発症した頃に比べて、症状は良くなったのですか。

多少は良くはなりましたが、全体的に力は入りません。このため、手動の車いすだと平らな場所では漕げますが、傾斜があると上がれないし、道路の水はけの勾配がついているとまっすぐ進めないので、屋外では電動アシストの車いすを使っています。病院内でも電動アシスト車いすだと楽ですが、スピードが出て本体重量もあるので、患者さんと接触事故を起こせば怪我をさせてしまうと思い、院内では使いません。電動アシストの車いすは前後が長いので、向きを変えるのには広いスペースが必要です。それで職員用の普通のトイレには入れません。

この病院では、どんなことをされているのですか?

いまは手術室に入ることはありません。麻酔科医もいるので、麻酔の仕事をすることもありません。私は、整形外科の外来一単位のほか、健診の問診や心電図の判定のお手伝いをしています。また、地域包括ケア病棟の患者さんを私を含め2人のドクターで担当しています。整形外科から移ってきた患者さんはもっぱら私が担当し、内科の患者さんはもう一人の内科のドクターが担当する形で分担しています。

後輩の医師の指導もされていますか。

初期研修ではいろいろな医師が教育を担当しますが、私は医療者のための写真の撮り方というのを担当しています。全体が分かる写真とか、左右が分かる撮り方だとか、基本的なことをスライドなどで楽しく説明しています。一般の病院では、大学病院と異なり写真を記録に残す習慣が定着していなくて、最初に診察したときにどんな状態だったか、こんなふうに腫れていたとか分かる写真がないことが、すごく気になっていました。記録写真を撮ると学会で症例報告するときにも役に立ちます。撮る際の患者さんの個人情報保護についても教育します。電子カルテ取り込み専用のカメラが救急外来をはじめとして主な場所には配置してあります。余談ですがセキュリティ対策で、個人のスマートフォンで写真を撮っても電子カルテには取り込めません。このほか自分の専門領域の電気生理では、神経伝導速度や筋電図について教えています。これも食わず嫌いであまり分からない先生もいるので、心電図と同じくらい親しんでもらおうと思っています。

この病院は、初期研修の基幹病院ですか。

基幹病院で毎年6〜7人の初期研修医を受け入れています。近隣の医療機関から初期研修医が1~3か月短期研修に来ることもあります。その他にも整形外科をはじめ、いくつかの科では専門医研修もできます。学生さんの実習も受け入れていて、初期研修医がどんなふうに過ごしているのか見てもらいます。様々な形で研修に来ているので、いろいろな機会に興味ある人には教えています。

学会での発表もされるでしょうが、学会ではどうですか。

これはもう、障害があることでたくさん嫌な経験をしてきました。いつも困っているのは、学会会場の最寄駅から会場までのシャトルバスに乗れないことです。観光バスのような乗降口が前方の一か所で狭くて急な階段になっているタイプです。車いすでは乗り込めません。会場の近くに宿泊して直接電動車いすで走っていけるようにすることで対処しています。幸い持続走行距離がフル充電だと10キロくらいはありますので。

学会の会場ではどうでしょうか。

最悪だったのは、予め車いすで口演すると伝えていたにも関わらず、立って口演する演台があって、その上にパソコンの端末があり、そこで自分で操作するスタイルだったため、手が届かずに操作できないわけです。しかも事前にスタンドマイクにしてもらうよう申し出ていたにもかかわらず、ハンドマイクしか準備されていませんでした。普通の方なら何ともないでしょうが、私の場合はマイクを握っても重すぎて口元まで持ち上げることができません。仕方がないので、その場に居合わせた知り合いの先生がマイクを持ってくれて、パソコンの操作をしてくれました。一瞬頭が真っ白になって、何を言ったかよく覚えていないような状況でした。

それは何年ぐらい前の話ですか。

ほんの2〜3年前のことです。その後学会の主催者から丁重なお詫びのお手紙が来ました。学会ではポスターセッションもありますが、紙のポスターだと上のほうは自分で貼ることができません。会場のスタッフがいれば良いのですが、時間帯によってはいないので、隣でポスターを貼っている先生に手伝ってもらったりします。手先の力が弱いので、ボードが硬いと押しピンが刺さらないこともあります。

手先の力はどの程度なのですか。

握力は左右とも5kg前後なので、ペットボトルの蓋も開けられません。飴などお菓子の小さな包装の袋を開けることもできないので、無駄な間食をしなくて済みますが。

握力がそれだけ弱いと、日常生活にも色々と支障があるでしょうが、何か工夫されていることはありますか。

いわゆる自助具を利用します。ペットボトルだったら、オープナーを使います。自分で車を運転しますが、ステアリングにカバーをつけて少し太くすると、力がなくても動かしやすくなります。

そういうものは、どこで探されるのですか。

市の福祉用具プラザが駅の近くにあります。そこでは用具の販売はしていませんが、実物があるので実際に使ってみる体験ができます。つまむ力の弱い人でも使えるトングのような形のお箸や、握りの太いスプーンなど様々なものがあり、自分に合ったものを探すことができます。どこで買えるのかも書いてあるので、自分で入手することができます。大体のものはそこで探しました。

そういう場所があるのはいいですね。ネットで探しても試せませんからね。

本当に自分に合ったものかどうかは、試しに使ってみないと分からないです。右手が動かなくなった時に必要に迫られてすぐ利き手交換して、左手で文字を書いたりお箸を使ったりしたので、そんなには困らなかったのですが、両手を使わなければならないものは不便ですね。

東京の水道橋にある公益財団法人共用品推進機構のオフィスには、そうした場合に役立つ道具がたくさん陳列されています。イベントで「片手で使える商品」の展示も行っています。

私も片手で紙に書く時には、紙を手で押さえなくても滑らないよう、紙の下に敷く滑り止めのシートを使っています。

これも福祉用具プラザで見つけたのですか。

そうです。非常に楽です。それからパソコンは、病院の電子カルテのパソコンではできることが限られますが、個人用のパソコンではいろいろ設定を変えることができます。同時にいくつかのキーを押す時にロックをかけておいて、個別に押したものを一連のものとして認識させる機能もあるので、利用しています。私の住んでいる市には、障害者パソコンサポートの組織があって、ボランティアスタッフが1回100円程度でパソコンの個別指導をしてくれます。各自の障害に合わせたパソコンの使い方について、例えばExcelを片手で操作する方法も、講師がつきっきりで1時間指導してくれたので、仕事の面で活用しています。

他にも皆さんに紹介できるものはありますか。

私は指先の力がないので、ボールペンのキャップも外すことができませんが、ノック式だと使えます。蛍光ペンにもノック式があって、それはとても重宝しています。

握力5kgではキャップも外せないほどなのですか。

握力というより摘む力、ピンチ力ですね。洗濯ばさみをつまんで開こうとしてもばねが強めだとお手上げです。

思いもかけないところにも、不自由な面があるのですね。

手術をしないのも、感覚や手先が悪いことで患者さんに危害があってはいけないからです。さすがに針は持てますが、手先の感覚はあてにできないので、エコーで確認しながらブロックや穿刺をします。

これからのことを考えると、例えばダヴィンチみたいな手術ロボットが手の手術でも使えると良いですね。

そうですね。日常生活の面では、これはいいねと思うものがたくさんあります。例えばマジックハンドも使っています。

どのような場合に使うのですか。

駐車場でパーキングチケットを取るときに使いますし、精密にできているので硬貨をつまんで入れるのにも使っています。コンビニで物を買うときにも、定番の商品は立った人が取りやすい場所に置かれていて、座っている人には手が届きませんので、コンビニのおにぎりを取るときには、マジックハンドを使って取ります。

マジックハンドは重たくはないのですか。

とても軽いです。もっともペットボトルのような重たいものは、もともと手の力が弱いのでつかんで取ることはできません。

車いすに取り付ければ、重たいものもとれるかもしれませんね。マジックハンドは高価なものですか。

2000~3000円程度で市販されています。私はリウマチ友の会で紹介されているのを見て買いました。会員以外の一般の人にも売ってくれます。ホームセンターで同じようなコピー商品を売っていますが、粗雑にできているし、ばねが硬すぎて力が弱い人には使えません。

ほかにはどんなものがあるでしょうか。

車いすのレバーには、ファックスのロールペーパーの芯をかぶせて使っています。ラップの芯でもよいのです。細いレバーに芯をかぶせることで太くなり、長さも長くなるので使いやすくなります。車いすでエレベーターに乗った時には、上のほうの階層ボタンには車いすに座った位置からだと届きませんが、そういう場合にはレバーから芯を外して、座ったままでも芯の先を使ってボタンを押すことができます。

なるほど。いろいろな知恵が詰まっているのですね。

いろいろな道具を使えば、それなりに自立していけるのかと考え、極力無駄な動きを省くことでやっています。患者さんを診察するときにも、例えば身体の反対側を見るときに、自分が反対側に行くのではなく、患者さんに今度は頭と脚を反対にして寝てくださいと言って、患者さんに動いていただきます。

病院の中では手動の車いすを使われていますが、通勤はどうされていますか。

通勤には、電動アシストの車いすを使って、電車とバスを利用しています。学会などで出張する際も、電動アシストの車いすを使っています。電動アシスト車いすを使う場合は、通常のタクシーには乗れず、福祉タクシーを使う必要があるので、逆に不便な面もあります。タクシーを使う可能性が高い場合は、あえて手動の車いすで行くようにしています。福祉タクシーは、通常は1週間くらい前に時間も指定して予約する必要がありますから、地方都市ではかなり難しいです。

最後に、同じような病気になった医師の方が医師の仕事を続けたいと思った場合、どのような道があると伝えたいですか。例えば産業医とかもあるかと思いますが。

私自身、産業医大で研修を受けて、産業医の資格も取りましたので、それもあるかとは思います。ただ、産業医には職場巡視という現場を見る業務があり、現場によっては車いすだと見られないところもあるでしょうから、不可能ではないけれど、制限もあるかと思います。

1人では難しいかもしれないということですね。

そのほか臨床以外の分野でも、病理の仕事など、自分のペースできちんと仕事ができる分野で活躍するのもあるかと思います。私は整形外科なので、正直なところ手術ができなくなったら自分の人生は終わったというくらい、本当は落ち込みました。それでも、現実には生活していかなければいけないし、他に取り柄もないということで、工夫してやってきました。業務としては健診にも関わってきましたが、一般の方々、病気や障害を持った方々の健康相談に応えていく活動は、病院に限らず市民活動のレベルでも考えられます。

どんな活動でしょうか。

例えば難病の患者さんの患者会の支援活動があります。昨年は成人1型糖尿病の患者会で、災害時に備える「防災カフェ」で当事者ができることを一緒に考える取り組みをしました。防災士の資格も持っていますので。また、行政の難病相談支援センターは医療機関の紹介や障害者総合支援法によるサービスに内容が限定されるため、医療に加えて生活・就労・学業を続けていくのに必要ないろいろな情報を提供するための難病情報ハンドブックを作っているところです。最近、厚生労働省はがんの患者さんが治療と仕事を両立していけるよう、事業所に配慮を求める啓発冊子などを作っています。それに比べると難病はまだまだ遅れていると感じます。こんな所にも自分の居場所はあるのかと感じています。ほかにもメディカルイラストレーション学会に入って、医学の挿絵の勉強もしています。左手を使えばスケッチも描けますが、いまやパソコンを使って絵を書くこともできる時代です。まだ上手ではありませんが、美術系の学校から直接プロになったグラフィックデザイナーやイラストレーターは医学の基礎知識がないので、医療者から見ると少し変な絵になってしまい勝ちです。医学の基礎的なことが分かっている医師で、多少の絵心があったら、トレーニングすれば医学雑誌などで自分達の活躍する場もあるかと思います。

整形外科の分野で本来の仕事ができなくなったときに、別の道に進まれる人もいるでしょうが、整形外科に役立つ関連分野で新たな道を探っているのですね。

いま公衆衛生の研究で大学院に通っています。学会などで発表していても、統計学的なところで、この分析のやり方で本当に良いのか自信がなかったので、きちんと科学的なエビデンスを示せるようになりたいと思い、大学院に入って勉強し直しています。

それは後輩の指導にも使えますね。

そう思っています。今の時代、大学も非常に配慮してくれていて、駐車場には障害者専用の区画を作っていただいたほか、スロープを設置したり、エレベーターのボタンの位置や電子ロックキーの位置も使いやすいように変えてくれました。

以前大学で勉強していた頃と比べて、ずいぶん変わったでしょうね。

すっかり変わりました。困っていることはないかと事前にヒアリングがあり、どういう経路で自分の研究室まで行くのかとか、どこを利用しますか(図書館など)とか確認され、例えば雨が降った日には職員用駐車場だと濡れてしまうので、本来は患者さんの使う駐車場のこの区画を使って、こういうルートだと雨に濡れずに行けますといったことまで、ちゃんとセットしていただきました。

それは学生支援室が対応してくれたのですか。

そうです。大学院生なので学生支援室です。講義についても、階段教室だと一番前の講師の目の前に机を置いてもらい、車いすのままで受講できるようにしていただきました。

大学院は何年目ですか。

4年間行くことになっていて、いま3年目です。

語学にもチャレンジされているようですね。

何でも面白がってやる方です。いろいろな国から来た患者さんが来院されます。英語ができる人はたくさんいるので、ほかの言語に力を入れています。少なくともお隣の国の言葉くらいはある程度できないと、とっさの時に困るかなと思って、ボチボチやっています。TOPIKに挑戦したいと思っています。

時間を捻出するのも大変ではないですか。

私たちはどうしても移動で時間とエネルギーを使ってしまうので、何かやろうとすれば寝る時間が減ってしまうところがあります。ほどほどのところで妥協することも必要で、あまり頑張りすぎないことが大事かなと思います。通勤電車の中で論文を読もうと思っていたら居眠りしていたということはしょっちゅうです。

それでも、相当頑張られているように見えますね。

これまでは、あまり甘えてはいけないと思っていたのですが、あまり厳しくキチキチやっていると結局疲れてダウンしてしまい、スタッフにも患者さんにも迷惑をかけるので、ほどほどにさせてもらっています。

ほどほどを大切にして、これからも医師として長く働き続けてください。本日は有難うございました。

(2019年12月収録)