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S.S医師のインタビュー

障害の内容について教えてください。

中学3年の15歳の時に、脊髄の炎症になって足が動かなくなりました。膀胱と直腸の障害も少しあります。

突然だったのですか。

突然でした。当時は検査をしても原因はわかりませんでしたが、後遺症として障害が残り、伝え歩きなら何とかできますが、長距離の歩行はできないので、車椅子を使って生活しています。

家の中では伝え歩きはできるのでしょうか。

はい。

通勤はどうされていますか。

大学1年の時に車の免許を取ったので、車で通勤しています。

中学3年というと、高校進学も控えて大変な時期ですね。

そうですね。いろいろ思い悩んだ時期がありました。

高校は普通校に進学をされたのですか。

中高一環の学校だったので、そのまま高校に上ることができました。理解のある学校で、母の車での送り迎えも認めてくれました。エレベーターもありましたが、教室の場所も行きやすい場所にしてくれたり、体育のように難しい内容のものは他のことで代えるなどの配慮をしてもらい、なんとか卒業できました。

難しかったのは、体育くらいですか。

頻尿があるため、授業を長時間受け続けたり、集団行動を途中で抜けられないと辛いのですが、先生から「いつでも抜けていいよ」と言われていたので、精神的に追い込まれることはありませんでした。

周りの同級生の協力はありましたか。

もともと友達だったので、入院中にもお見舞いに来てもらい、私の変化も見ていたので、大変暖かく接してもらえました。

高校生活はどうでしたか。

障害の影響で足がむずむずして睡眠障害が出てしまい、普通の時間の睡眠では足りず、日中は凄く眠かったので、毎日学校に通って宿題をするので精一杯でした。

そういう中で、医療の道に進むことはいつ頃考えたのですか。

最初は獣医や、生物が好きだったので理学系の研究も面白そうかなとか、学校の先生もいいかなとか、色々と考えていました。足が悪くなってからは、動物を相手にする仕事は難しいと思い、理学部を目指したのですが、浪人中にいろいろ考えて、社会の中での自分の存在みたいなことを模索した時期がありました。社会に貢献できる人間になりたいと思い、自分がお世話になった医療の仕事への憧れが強くなってきました。そんな時に大学のオープンキャンパスがあり、医学部を見学させてもらったところ、大学の側が受け入れを検討してくださったので、医学部の受験をしようと思いました。

障害のある学生の受け入れに積極的な大学だったのですか。

前例は無かったのかもしれませんが、「君が大学に入ってくれたら、今後入ってくる障害を持った学生や年をとって足が悪くなった人でも利用できる施設に変えていけるし、あなたが大学に来ることに意味はある」と言ってくれました。

いい大学ですね。その大学を受験されたのですね。

はい。

そうは言っても、医学部はたくさん勉強しないと入れないので、二の足を踏んだりしませんでしたか。

そうですね。勉強しないといけないと思い、一生懸命勉強しました。

医学部には実習もありますが、受験前に心配はなかったのですか。

事前にはイメージが湧きづらかったですが、サポート体制がしっかりしている大学で、入学前に施設を回ったりして、解剖の時はどうしたらいいかとか、実習の時はどうやれば回れるかとか、一緒に考えてくれたので、特に不安も感じませんでした。

それは大学に入学する前ですか。

オープンキャンパスの時に「車椅子なのですが、大学に行きたいけれども大丈夫ですか?」と聞いた時点から、いろいろと考えてくださって、病院の中なども見学させてもらい、研修していく上で何か問題があるか、上の先生に学生担当の人が聞いてくれるなど、いろいろと考えてくださいました。

すごいですね。そういう大学もあるのですね。それだと安心して受験できますね。オープンキャンパスは、いつ行かれたのですか。

浪人1年目の夏です。現役の時は成績が届きませんでしたが、浪人して成績も上がってきたので、行ってみました。

予備校には通われましたか。

浪人1年目の時は、ほぼ宅浪でしたが、医学部に入るのには学力を上げる必要があったので、2年目の時は電車で予備校に通いました。通うだけでもしんどかったです。

そうして頑張って合格されたわけですが、大学に入ってみたら、予め聞いていた話と違ったりしませんでしたか。

困ったことがあっても言えばすぐ対応してくれて、思っていた以上でした。

具体的にはどんなことがありましたか。

毎日通る扉が重いという話をしたら、いつの間にか自動扉に変わっていたりとか、通路に段差が多くて通れないと言うと、スロープに舗装されていたりとか、いろいろしていただきました。

そういうことを伝える先は、どこになるのですか。

学生支援室です。私のことを心配してくれている先生がいて、その方を中心に動いていただきました。

人にも恵まれていたのですね。医学部の実習では難しいことはありませんでしたか。

体力的に難しかったのは、解剖くらいでした。普通は4人で班を作るところを、私の班は5人にしてもらい、私はできる範囲のことをして、できない作業は見学させてもらいました。講義は、特に問題なく受けられるよう配置してもらいました。ポリクリ(臨床実習)で病棟を回る時も、班のメンバーが車椅子を押しでくれるなどサポートしてくれました。

同級生の協力もあったのですね。専門の診療科は、学生時代に決めたのですか。

学生時代は、体の面を気にして、画像診断や精神科が良いかとも思っていました。初期研修の病院が理解のある病院で、できることは自分でできるようにして、配慮が必要なら手伝ってもらえるという病院でした。その病院でいろいろな患者さんを診させてもらう中で、興味があると思えたのが脳神経内科でした。脳神経内科の対象は、脳梗塞、認知症、パーキンソン病のほか、私の病気も脳神経内科の疾患ですが、患者さんの体が動きにくいことに対して、自分にできることがある、役立てていると思えることがありました。例えば、パーキンソン病の患者さんにお薬を調整することで、動けなかった人が普通に動けるようになるのを見て、自分は動けないながらも、患者さんの辛さを共感して、どうしたらよいかを考える過程が面白いと思い、脳神経内科に魅力を感じました。

自分の障害と通じる部分というか、理解できる部分があるということですね。

友達とか同級生の中にも、自分自身の病気を経て医学を志す人が何人もいますが、やはり自分が患った病気と関係する方向に進む人が多いように思います。

理解できる部分があるということは、患者さんも感じるでしょうね。診察も車椅子でするのですか。

はい。どういう感じで見られているかは分かりませんが、障害があっても楽しく過ごしたり、仕事をしているのを見てもらうことで、病気になっても楽しく生きている人がいるのだと、勇気づけられる人もいると思うので、そんなことに役立てれば良いかなと思っています。同じような病気の人が多いので、心を開いてもらいやすいメリットはあるかもしれないですね。障害があることで邪険にされることがないのは、とても有難いです。

素敵な笑顔なので、皆さんも明るい気持ちになるでしょうね。

できるだけなごやかに診療するようにしています。

どのような時にやりがいを感じますか。

患者さんの状態が良くなると、自分も嬉しいと言う気持ちになります。それがやりがいですね。患者さんの状態が悪くなると、自分も哀しくなります。

医師として働かれていて、注意されていることはありますか。

患者さんの急変時の対応は、どこまで自分ができるかを考えた上で、自分ができないことはちゃんと人に頼んでおくことが大切ですね。人の命が関わっているので。

急いで駆けつけなければいけない時などですね。

それもありますし、駆けつけた後の対応もスピードを求められる場面があります。どうしても速さはないので、苦手にしている感じはあります。

脳神経内科でも急変時の措置が必要なことが結構ありますか。

脳梗塞の患者さんを多く診る病院だと、すぐに対応しなければならないことがあると思います。同じ診療科でも、急変の可能性の少ない患者さんの受持ちであれば呼ばれることは少ないですし、、急変する可能性が高い患者さんばかりだと急変時の対応をする機会が多くなり難しいかと思います。

三次救急の病院だと難しいでしょうね。

初期研修の時には、大学病院の救急で三次救急の勉強もしましたが、何人かでスピード感ある対応を求められるので、勉強として配慮された上でなら参加することができますが、診療で行うとなると速さに着いていけない感じがします。

その意味では、医療機関で働く場を選択するには、比較的急変や救急対応が少ないところですね。

そうですね。自分1人でやるのは危ないかなと思います。普段は一次・二次救急をやっていますが、そこまで急がない患者さんであれば対応できます。

そのほか、医師として働く上で苦労されていることはありますか。

私の場合は頻尿がネックなので、患者さんへの説明に時間がかかりそうな時や、急変した患者さんに付いていなければならない時、手術の時などには、どういうタイミングでトイレに行くかが課題です。ギリギリにならないと尿意を感じないため、自分でちゃんと管理しておく必要があるので、今からこれをするのでその前にトイレに行っておこうとか、工夫しています。

事前に予防的に準備しておくことですね。予防的なことができる時間的余裕も必要でしょうね。

そうですね、余裕がある方が望ましいです。病院とか診療科も、自分に合ったところを選ばないといけないと思います。

医師として働いてきて、学生時代より情報も集まってきたと思いますが、同じような障害があって医師を目指す方に対して、どの診療科をお勧めしますか。

診療科で選ぶのは難しいかもしれないですね。病院にもよります。外科系は外すとして、内科系ならできないことを避ければ、多分できるのではないでしょうか。専門資格を取るためには、手術に入らなければならない診療科もあります。手術が必要な診療科の先生からは「無理のない形で自分のできる範囲でオペに入ってもらえば、後は日常診療できるように勉強してもらえばいい」と言っていただいたので、病院と診療科と周りのサポート次第で、何でもあるのかなと思います。

一緒に働く人たちのサポートも大事ですね。

そうですね。心理的に支えてもらえる面もあるので、理解してもらえるのが一番大きいと思います。

あまり忙しすぎると、理解してもらうのも難しいですね。

まあ余裕があるところが良いかなと思います。

障害があるのに医師を目指すことに対して、無理だから諦めたらとか言われたことはなかったですか。

言われたことはないですね。どうしようかと思っている段階でオープンキャンパスに行き、大丈夫だと言われた経験があったので、そこまで思い悩まずに目指せて来れました。いろいろな病院があり診療科もあって、医師も不足してると言われていて、業務も多種多様な中では、自分ができることは何かしらあるはずです。どんな人であっても医師を目指すことに問題はない、そういう職種なのかなと思います。

そういった情報が足りないのでしょうね。

オープンキャンパスに行って、良い案内をしてくれる方と出会えたら良いですね。

オープンキャンパスに行くのもハードルが高くて、何しに来たと思われるのではないかと考えてしまう人もいるでしょうね。自分が行っても良いのだろうかと。

行ってみないとわからないですよ。オープンキャンパスは、広く学生が見学に来る機会なので、どんな人にも行く権利があると思います。見てみてダメだと感じる人もいるかもしれませんが、行ってみること自体は別に良いかと思います。

オープンキャンパスに行ったことで、医師を目指すことになったのですね。

車椅子とか障害を持って職業に就くことに悩む人は多いと思います。私も浪人中に自分に適性のある職業か何か全く見えていない時期がありました。何か仕事をしないと生活していけないし、何かしら社会貢献したいという思いもあったので、いろいろな職業を検討して、その中の1つに医師があったということです。

実際に仕事をされてみて、医師という職業はどうですか。

すごく大変な部分もありますが、その分やりがいもあります。大変な分、返ってきた時は嬉しいです。興味があるだけに、医師になって良かったと思っています。

病気になる前は、スポーツは何かされていましたか。

中学の時に陸上を短期間だけやっていました。運動するのは好きでした。

大学時代にはクラブ活動は何かされていましたか。

弓道部に入りました。

どうして弓道をすることになったのですか。

大学のサークルに入るのも結構悩んで、自分にできることは何だろうと考えて、バイオリンや軽音楽や吹奏楽など色々と見学に行きました。たまたま友達から弓道の例し引きがあるよと誘われ、思い出作りくらいの気持ちで一緒に行ってみたら、とても楽しかったのです。大学の近くの弓道場で車椅子で弓道をしている人がいるという情報があり、その方の話を部活の先輩と師範の先生とで聞きに行き、自分の障害のレベルだったらどうすれば良いかも考えてもらいました。障害あってもなくても、年寄りでも子供でも、肩を並べて競い合えるスポーツですし、そういうところも魅力かなと思いました。

車椅子でも普通の大きな弓を使うのですか。

短い弓もあるようですが、私は普通の弓を使っていました。

今は弓をやっているのですか。

今は引いていません。やりたいとは思いますが、弓道場が近くにないので、機会があれば行きたいと思っています。

いまは何かされていることはありますか。

ジムに通って筋トレをしています。リハビリする時間も取れなくて、足がなまっていく一方なので、30分くらいでも足を動かす時間を頑張って作るようにしています。脳神経内科医は、患者さんの筋力テストをするのですが、全身の筋力を使って患者さんの力に拮抗して引っ張らなければならないので、それが何歳までできるか不安もあります。そのために筋トレをしつつ、将来は将来でいろいろ道があると思うので、どこかのタイミングで勉強したいと思っています。脳神経内科医がいつまでできるかはわかりませんが、医師として何かはできると思っています。

このネットワークに参加されている医師の皆さんのお話の中にも、きっとヒントになる話があるかと思います。本日は、有難うございました。

  
以上(2019年12月収録)